「足して366歳 八ヶ岳に登る」
54期・沓掛文哉

2011年8月5日


 この夏、同期5名で八ヶ岳に登ってきました。4年前の甲武信岳と蓼科山、3年前の燕岳に続く、故郷の名山への挑戦でした。

 「年寄りの冷や水」と言われないように天気予報も入念に調べ、当初予定を2日間延期しての登山計画実行でした。計画自体もゆっくり・のんびりの高齢者プランで普通なら1泊2日コースを2泊3日にしました。
なお且つ、出発時、雨が降っていたら登山は即中止で山小屋滞在という計画です。従って、家の者には帰りが1日、2日延びることもあると前置きして出掛けました。

 初日は美濃戸口から5時間掛けて行者小屋まで。お酒も中生ビール一杯で我慢して翌日に備えます。翌朝、天気上々、赤岳(2,899m)を目指す。地蔵の頭経由で急登もあって汗みどろになりましたが、八ヶ岳の主峰を踏破しました。頂上から去り難いものがありましたが、阿弥陀岳へ登る為、次の中岳に向かいました。中岳から振り返る赤岳は峻険でした。阿弥陀岳直下、これから登ろうと再度決意を新たにした瞬間、ガスが出てきて頂上が全く見えなくなりました。雨の前兆と思われました。全員が勇気ある撤退を決めました。登頂を断念して宿泊予定の赤岳鉱泉へ急ぎました。怪我の功名で鉱泉には一番風呂に入れました。

 3日目、赤岩の頭経由で硫黄岳(2,760m)に登りました。ガスと小雨交じりで景観はききませんでしたが、台座の頭近くの「お花畑」で、コマクサの群生に歓声を上げました。間もなく後期高齢者に突入する世代でも感動する血潮は弱まっていないようです。

 帰りのJR乗車駅の茅野市で打ち上げをしました。街は夏祭りで賑わっていました。料理が美味しくて、値段がリーズナブルの居酒屋さんに感激が倍増しました。

 来年は甲斐駒ケ岳を計画していますが、果たして実現するだろうか。
八ヶ岳登頂者: 荻原統夫、沓掛文哉、神津勝重、小菅健司、田村 朗


赤岳山頂を極める

主峰赤岳の山容

コマクサ



「古希を迎えて故郷の名山に登る」
54期・沓掛 文哉

甲武信岳(2007年6月18・19日)、蓼科山(10月1・2日)

 数年前から、関東同窓会54期の有志10余名が、毎週火曜日、JR北鎌倉駅へ集まって「鎌倉散策」を続けている。鎌倉周辺だけでは飽き足らなくなって、箱根外輪の明神が岳や金時山等へも足を延ばしていたが、今年は古希を迎えるとあって、一念発起、まず6月18・19日、有志8名が千曲川源流を訪ね、その足で日本百名山の甲武信岳(2,475m)に1泊登山を敢行し、全員無事、踏破した。千曲川は私たちにとって、幼時の魚捕り、水浴びから始まって、青春を謳歌、涙した忘れがたき叙情の川である。どうか、千曲川水源地標の建つ傍らで、日本一の甘露の水を飲んだときの私たちの感激を想像して頂きたい。

 これに味を占め、10月1・2日、清瀬市立科山荘に宿を取って、有志10名が蓼科山行を試みた。1日に蓼科牧場から日本百名山の蓼科山(2,530m)往復を予定していたが、霧と雨で視界ゼロ、女神湖散策及び車山のペンション探訪に変更。翌2日に御泉水・蓼科山七合目登山口から登山開始した。雨は降らないまでも、霧が立ち込め視界ゼロが続く。時折、女神湖周辺や霧が峰、美ヶ原等が展望されるが、蓼科山の頂上の姿も見えないままに、将軍平・蓼科山荘に到着、最後の難所・岩ゴロの続く急登に入る。息を整えつつ一歩一歩よじ登ると、蓼科山頂ヒュッテに到達、ついに蓼科山山頂である。

 蓼科山は八ヶ岳連峰の最北端に位置し、頂上は樹林限界を超えているので、晴れていれば眺望360度に及び雄大のはずだが、今回は霧に閉ざされ残念至極であった。頂上標柱近くの蓼科神社奥社に参拝後、社前で昼食。身体の冷えるのを避けて、程なく下山に入る。その丸みを帯びた優雅な山容から、別名「女の神山」と呼ばれている蓼科山だが、登りに劣らず、下山も厳しいものであった。とくに将軍平までの大石のごろごろする急斜面は表面が濡れていて、滑落に細心の注意を払いながらの歩行が続き、ひざが笑い出した。それでも頂上から休み休み、ゆっくりゆっくりの下山を重ね、午後3時過ぎ、全員無事、元の七合目登山口・蓼科神社一の鳥居をくぐった時には、思わず全員でハイタッチ、めでたく万歳の集合写真となった。

 帰途、佐久平からの新幹線車中、盛大に登頂成功の祝杯を挙げたことは勿論である。
     故郷の名山登頂者:
       市河富弘、荻原統夫、沓掛文哉、倉島 彰、神津勝重、小菅健司、
       竹重節雄、田村 朗、中村忠勝、宮沢壮介、山崎茂幸


蓼科山山頂


蓼科山登山口


千曲川水源地