講演会
「赤松小三郎と明治維新」講演会に約80人参加 丸山瑛一氏、龍馬を超えた先見性を強調 (2013.3.2)
3月2日(土)に東京・神田の日本教育会館で、「赤松小三郎と明治維新」の演題で、関東同窓会元会長の丸山瑛一氏(51期)に講演していただきました。80人近い皆さんにお集まりいただき、会場は熱気にあふれました。質疑の時間には、独自の歴史観を披露される方もおられ、活発な発言が出ました。赤松小三郎は上田藩出身の兵学者です。37歳という若さで暗殺されてしまったため、その業績は埋もれています。
明治維新というと、坂本龍馬の「船中八策」がベースになって「五箇条の御誓文」につながったというのが私たちの知識ですが、それより前に赤松が福井藩主、松平春嶽に提出した建白書の中に船中八策の原典があり、赤松は国のグランドデザインを描いていた人物だったというのが、講演の核心でした。
とかく偉人伝というと、年表式に生い立ちを追い、業績を紹介する形が多いのですが、丸山氏は赤松の建白書の要点を解説し、その先見性を指摘されました。龍馬の八策には「上下2局の議政局」と書かれているだけですが、赤松の建白書では「選挙で選ばれた130人の下局(衆議院)と諸侯から選挙で選ばれた30人の上局(貴族院)からなる議政局で国事を決議する」と具体的に述べているというのです。
この先見性は、優れた語学力で、多数のオランダ語の文献にあたり、長崎の伝習所でオランダの軍人から航海術のほか、近代国家体制などを聞き出し、新しい国の体制のイメージをつかんでいたためであったとされます。
丸山氏はまた、NHKの大河ドラマ「八重の桜」に登場する会津藩士、山本覚馬と赤松との親交にも注目。「幕薩一和」(幕府と薩摩の和解による内戦の回避)のため、赤松が薩摩藩、山本が会津藩の要人を説得しようとしたエピソードも紹介しました。
赤松に光を当てようと、丸山氏は上田の生家の蔵を赤松顕彰会に提供し、昨年3月に「赤松小三郎記念館」が開館しました。土日・祭日だけの開館にもかかわらず、全国各地から半年間に約2000人の来館者があったそうです。
関東同窓会副会長 小松正佳(64期)
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